研究

研究の“きっかけ”(西田充潔)

先日、学科のある授業の教材を準備する中で、必要性があって、学生時代に読んだ古典的な著書を読み直す機会がありました。その著書とは、J. Bowlbyによる1969年に初版「第1巻」が出版された3部作『Attachment and Loss』の第1巻『Attachment』の改訂増補版(1982年版)です。日本語翻訳版は、黒田実郎らにより『母子関係の理論Ⅰ: 愛着行動(新版)』(岩崎学術出版社, 1991) として出版されています。

この著書の冒頭「Preface(はしがき)」にて著者のBowlbyは、次のように書いています。

「Events were to prove otherwise. As my study of theory progressed it was gradually borne in upon me that the field I had set out to plough so lightheartedly was no less than the one that Freud had started tilling sixty years earlier, and that it contained all those same rocky excrescences and grappled with ーlove and hate, anxiety and defence, attachment and loss.」
(「問題は意外な方向へと進展していった。理論的考察が進むにつれて、私が安易な気持ちで取り上げた研究課題が、実は60年前にFreudがライフワークとして取り組んだ課題(愛と憎しみ、不安と防衛、愛着と喪失)と同種類のものであることに気づいたのである。」日本語翻訳版より)

Bowlbyがライフワークとして取り組み、その後の現在にまで続く「Attachment(アタッチメント・愛着)」の研究について、その研究課題を「I had set out to plough so lightheartedly(私が安易な気持ちで取り上げた)」と言っています。 Bowlbyは、この著書の執筆を開始したのは「1956年」であったと書いています。その当時、英国人のBowlbyが第一次世界大戦とその後の世界恐慌、そして第二次世界大戦後の治安の悪さや貧困・失業、食糧不足による栄養不良など、市民の日常生活が大きく脅かされる非常に不安定な社会情勢の中で、両親を失い乳児院や児童養護施設で過ごす子ども達について研究を重ね、1951年にWHO(世界保健機関)から出版した『Maternal Care and Mental Health』(黒田実郎 訳『乳幼児の精神衛生』, 岩崎学術出版, 1962)で展開した理論「maternal deprivation(母性剥奪)」への、世界的な批判が起き始めていました。そして、それに反論するために執筆・出版されたのが3部作『Attachment and Loss』であったとされています。

 つまり、その研究について「安易な気持ちで」と謙遜するように書いていますが、その後の経過からすれば、少なくとも同書を執筆していた当時は、決してそのような“安易な(気軽な)”心境ではなかったと思います。つまり、執筆時点ではとても“重要な”、“意義ある”研究(理論)であると考えていたからこそ、その“きっかけ”について「安易な」という、逆の表現をしたのかもしれません。

 本学教員のみならず、研究者が行う「研究」は、さまざまな理由や動機によって着手されています。それは千差万別・十人十色・多種多様ともいえると思います。とはいえ、今日まで広く・深く、人間理解にさまざまな発展や影響を与えてきた「愛着理論」を形づくった“巨匠”J. Bowlbyでさえ、その研究を「安易な気持ちで」始めたと表現していることに、何だかとても親しみを感じますね。

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