研究

「障がい」と書かない理由

 障害者福祉や障害学という分野を専門にしている私は、授業資料や論文、講演資料などを作成する際、「障害」「障害者」と書きます。時折、学生から「なぜ、『害』の字をひらがなで書かないのですか?」と聞かれることがあるのですが、今回は、この質問に対する応答、つまり私が「障がい」と書かない理由についてお話しします。

 先ず、「なぜ、『障がい』と書かないのか」という質問をする人の多くは、「障害」と書くのは障害者に対して失礼だ、と考えているのだと思います。しかし、私はそのように考えません。この見解の違いはおそらく、質問をする人たちと私との間で「障害」の帰属先についての認識の違いがあるからだと思います。

 「障害」に違和感を持つ人たちは、この「障害」が障害者にある(つまり帰属する)と考えているのだと思います。だから、「障害」という書き方を失礼だと考え、せめて「害」をひらがなにしよう、と考えるのでしょう。しかし、そもそも私は「障害」は人に帰属するものではなく、社会の側にあるものだと考えています。このような考え方を障害学では「社会モデル」と呼んでいます。

 社会モデルでは、「障害」は障害者個人の中にあるのではなく、障害者に必要な配慮をしない社会がつくり出しているものだと捉えます(上の図をご参照ください)。つまり、障害者は「障害を持つ人」ではなく、「社会によって障害を負わされている人」です。このように社会が障害者の「障害」をつくり出してしまった以上、社会はこれらの「障害」を取り除かなければなりません。そして、そのためには、先ず、社会がつくっている「障害」を正面から見据える必要があると考えます。 私が「障がい」と書かない理由は、この社会モデルの考え方に立っているからです(田中 耕一郎)。

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