コラム

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COLUMN

学生という存在の可能性
専任講師 大友 秀治

2017.10.20

 本学での勤務も2年目となり、学生と一緒に取り組むことも以前に比べて増えてきました。学生の率直な視点や考え、関心事を共有できることは、とてもありがたいことだと思っています。この青年期の真っ只中を、学生なりに頑張り、悩み、何事かを為そうと懸命に生きている姿に、とても勇気づけられます。
 SSWを担当していることもあり、子どもへのボランティアに関わってもらうことも出てきました。そこでの学生の観察力、解釈力、考察力には、とても驚かされます。私では気に留めずに流してしまいそうになる何気ない子どもの言葉にも、真摯に向き合っています。子どもの「声なき声」を引き出し、重要なメッセージとして受け止め、子どもの立場に立って読み取ろうとします。
 専門職の立場としては、問題となる状況に対して何が提供できるのか、にどうしても関心を持ってしまうかもしれません。しかし、学生のやり取りを見ていると、まずは子どもとの世界を共有しようとする対等性が感じられます。着ている服のこと、ゲームの話、アニメの話など、会話のハードルがとても低いのです。子どもの笑顔を自然に引き出す名人だと思います。専門職の持つ権威性をいかに相対化するか、他者の物語(ナラティブ)とどう向き合うか、などへの有効なヒントをもらっています。
 私は、学生のころ、自分の存在が誰かの役に立っているだろうか、ととても不安に思う時期がありました。学生という中途半端な立場で、誰かに期待されることも少なく、今後何をやっていったらいいのか見えない時期だったと思います。しかし、自分には何もないと思っていたとしても、その純粋さや無心さのなかに可能性があるのです。形ある確かな実感や結果というものを求めてしまうかもしれませんが、曖昧さを排除せず、存在そのものの持つ意味や意義を見出してほしいと思います。

小樽市銭函の海岸

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