コラム

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COLUMN

杏(あんず)の種
教授 栗山 隆

2018.07.23

 今は昔、ある夏の日の朝、母は、杏の種を抜く内職をしていた。
 小1だった私の家は貧しかった。
 しわくちゃで少し半生の実から種を抜く。一個さしては、サク・クルリ・ポン、一個ひいては、サク・クルリ・ポン。とやるのだから、なかなか、はかのいかない作業であった。  はかどらなくても、手荒くザクザクと抜いたり、ただのザク抜きではいけないのだ。
 果肉は、クリスマスに向けてバターケーキを彩る為に必要だった。一つ一つ丁寧に種を抜かれたそれは洋菓子業者にすこぶる好評だった。サク・クルリ・ポン。サク・クルリ・ポン。サク・クルリ・ポン。ペンチダコの母の手にみるみる果肉が貯まっていく。
 一方、抜かれた大量の種は、誰に顧みられることなくゴミ箱行きであった。
 ある日、母はノミを持ってきて抜いた種をまっ二つに割った。中から薄皮に包まれた塊が生まれた。一晩水につけられた薄皮を剥がすと白い実がほろり。すり鉢で細かく砕き、粉状にして、砂糖とゼラチン、水と牛乳を加えて温め、アルミカップの底に流し込んだ。
 「この白い実は仁っていうのよ。」
 「冷蔵庫で一晩ねかせたら、おいしいおやつができるんだから」と母は嬉しそうに言った。
 「えっ、ほんと?」「本当に?」「まさかぁ。」「だってゴミだよ。おやつになんかなるもんか。」
 翌日、冷蔵庫から取り出されたアルミカップには滑らかな白い固形物がみえた。
 普段はお目にかかれないミカン缶詰が開けられ、甘い汁(シロップ)が注がれた。
 ミカンのオレンジが鮮やかだった。
 我が家の「杏仁豆腐」であった。
 苦労を重ね日々の小さなアイディアを形に残した母を偲ぶ。
 大人になった私はいま、母の抜いた杏の種をひろいあたためている。

デンマークの初夏(オーフス市の夕焼け)

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