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研究を通じたロシアでの冒険—その1

英文学科グローバル・スタディーズコースの准教授である中地美枝先生に、最近出版されたご著書「Replacing the Dead(死者の穴埋め)」や、その執筆にあたって行ったロシアでの興味深い研究活動についてインタービューしました。とても充実したお話ですので、まずはその前編として、ご著書と研究活動に関する質問への回答を紹介します。

後日公開予定の後編では、中地先生がロシアに興味を持ったきっかけ等についてお話をうかがいます。

Nakachi Mie 中地美恵先生 准教授

中地美枝

英文学科 准教授

グローバル・スタディーズコースの科目を担当し、国際関係や環境・貧困・戦争と平和などのグローバルな問題について政治・歴史・文化・経済・社会・ジェンダーなど多様な視点から考える授業を展開している。

中地先生の新しい本「Replacing the Dead」

最近「Replacing the Dead」という本を出版されましたが、簡単にどんな内容か、ご紹介いただけますか。

ソビエト連邦は第二次世界大戦で約二千七百万人もの犠牲者を出しました。日本ではあまり知られていませんが、これはドイツや日本の犠牲者の数と比較しても桁違いに多いんです。そこでソビエト政府は人口のレベルを出来るだけ早く回復しようと、人口増加政策を打ち出しました。本書はこの政策の成立の過程と、それが社会にもたらした影響について、特に家族形成やジェンダーに注目して分析しています。

戦後のソ連の人口増加政策で特徴的だったのは、婚外子の増加を奨励したことです。この目的はさすがに公表されませんでしたが、戦争未亡人や未婚の若い女性を対象にした、国家による婚外子の出産奨励というのは歴史上他に類をみないと思います。

結果的にこの政策がもたらした人口増加の効果は限られたものでしたが、その一方で負の効果は大きかったと分析しています。例えばソ連では革命後に行われた事実婚の承認により「未婚の母」という概念が事実上消滅していましたが、この政策により復活しました。戦後未婚の母になった女性やその子供たちは社会的な差別に苦しみ、その多くが貧困に陥りました。またこの政策は男性に対して「父親としての役割を放棄しても良い」というメッセージを与えてしまいました。これはソ連社会で男性の家庭生活への不参加を固定化する一因となりましたが、現在もこの状況は大きくは変わっていないと思います。

ロシアの首都モスクワ市にある旧ロシア帝国の宮殿「クレムリン」©Iakov Filimonov

ここで日本との決定的な違いは、ソ連ではほぼ100%の女性がフルタイムで働いていたこと、そして多くのソ連の男性が経済的にも家庭の「大黒柱」の役割を果たしていなかったところにあります。女性は自ら稼ぎ、子育てをし、家事も全て引き受けていた、というわけです。そんな状況の中で少子化が進み、離婚率が上昇したのはある意味当然のことだったと思います。本書はロシアの研究書ではありますが、女性の社会進出と少子化が進む日本や他の先進国の状況を考える上でも参考になれば、と思っています。

ご研究ではロシアで多くのアーカイブ史料を掘り起こされたということですが、苦労されたことはありませんでしたか。

ソビエト連邦が崩壊するまでほとんどの外国人は史料館に足を踏み入れることが出来ませんでしたし、ロシア人でも自由に史料を閲覧できたわけではなかったので、史料が広く公開されるようになった1990年代以降、多くの研究者が精力的に史料収集をしています。私は2000年代からモスクワ市、ヴィボルグ市、サラトフ市、ウラジオストック市など、ロシアの様々な都市の史料館や図書館で史料収集を始めましたが、いつも宝の山で宝探しをしている気分でした。来る日も来る日も朝から晩まで史料館や図書館のはしごをしながら過ごしました。

ロシア西部にあるヴィボルグ市にあるヴィボルグ城

ロシアの史料館や図書館は独特の環境です。アメリカや日本ではリクエストした史料は時間の許す限り好きなだけ閲覧できることも多いですし、マイクロフィルムの閲覧や、スキャンやコピーなども最新の設備が整っていて効率よく仕事が出来ます。設備という面からも、空調も整備されていますし、居心地のいい休憩所もあり、トイレも明るくてきれいなところが多いので快適な環境で仕事が出来ます。

ロシアの東部にあるウラジオストクの金角湾を渡るゾロトイ黄金橋 ©Alex VN

ロシアの史料館や図書館では、毎日何が起こるかわかりません。朝たどり着くと前触れもなく突然閉まっていることもありますし、史料は頼んでから数日経たないと見ることが出来ない、また一日に閲覧できるファイルの数がかなり限定されている、という事も多く、一週間や二週間の滞在で多くを達成するには難しい環境です。コピーやスキャンは自分では出来ず、コピーは当時一枚100円以上したので、史料の内容はパソコンでひたすらタイプするか、パソコンの持ち込みが禁止のところでは、手で写し書きをしました。設備の面でも、冬に暖房が壊れていて、ホッカイロを体中に貼り付け、防寒具を身につけたまま仕事をするとか、昼間でも真暗で便座もないトイレに何とか落ちないようにようにして用を足すという日もあり、サバイバルキャンプさながらでした。こういう経験のおかげで大抵のことでは動じない図太さを身につけることが出来ました。

ロシアの首都モスクワ市から約900km南東にあるサラトフ市の風景 ©Oleg Spiridonov

でも苦労した分、役立つ史料が見つかった日はとにかく天にも昇る気持ちでしたね。それに、真面目に毎日史料館に通っていると、最初は表情が固い史料館の職員もだんだんと優しい顔になってくるんですよ。ちょっと世間話なんかも出来るようになり、休憩時間にはお茶に誘ってくれたりして。それもとても嬉しかったです。国内外からリサーチで集まる研究者とも閲覧室で何時間も一緒に過ごすうちに顔見知りになり、情報交換をしたりする楽しみもありました。史料館に行くときは今でもワクワクします。